ちょっとした家庭の教育が、子どもの未来を変えていく!?

【国が子どもの教育を、家庭に丸投げしはじめた?】

ゆとり教育を推進した結果、日本全国の子どもたちの学力低下が社会問題となりました。

過去、大幅に削減された学校教育のカリキュラムが元に戻りつつありますが、一度減らしたものは、なかなか以前のようには戻りません。

そして、さらに文部科学省のホームページには、下記のように記されています。

1)家庭の教育力の充実の重要性

家庭は、子どもたちが最も身近に接する社会であり、家庭での教育は、基本的な生活習慣や生活能力、自制心や自立心、豊かな情操、他人に対する思いやり、善悪の判断などの基本的倫理観、社会的なマナーなどの基礎を子どもたちにはぐくむものであり、学校や地域社会での子どもたちの活動にも影響を与えるすべての教育の出発点である。

近年、核家族化、少子化、都市化、産業構造の変化など、家庭をめぐる状況の急速な変化により、親の過保護・過干渉や無責任な放任、育児不安の広がりやしつけへの自信喪失など、様々な問題が生じている。

家庭教育は、本来、親の責任と判断において、それぞれの親の価値観やライフスタイルに基づいて行われるものであるが、家庭の様々な問題は看過できない状況となっており、もはや個々の家庭だけに問題の解決を委ねるのは適当ではなく、社会全体の問題として、積極的に家庭における教育力の充実を図っていくことが求められている。

(平成12年11月28日。生涯学習審議会。社会教育分科審議会報告)

子どもの教育における「家庭の重要性」に強く言及しています。

ストレートに言ってしまうと、自分の子供は自己責任で自分で育てましょう。

国は、昔のような強い関与はしません。

と言っているわけです。これが、今の子どもたちを取り巻く、日本における子育て環境のベースであることを、これから子育てを行う若いお父さんお母さんたちは理解する必要があります。

国の方針が、こういうふうになってきている以上、各個人ご家庭での子どもに対する教育方針を立てることが重要になってくるのですが、なぜ、国があえて「家庭」と明確に表記してまで、各ご家庭での子育てを今、重視してきたのでしょうか?

【気がついたら、社会の仕組みが根本的に変わっていた!】

近年、なにか子どもの事件が起きるたびに原因を家庭に求め、家庭の教育力の欠如を指摘する傾向が出てきました。

しかし、そもそも昔には「教育する家庭」というのは多数存在していたのでしょうか?という疑問を感じるのは私だけではないと思います。

今よりも親は子どもをほったらかしだったようなはずなのですが・・・

本質は、個々の家庭の問題ではないのです。

人と人とのつながり・共同体のあり方が、昔と現在では全く違う。

実はこれこそ、国が「家庭」を子どもの教育の舞台としてクローズアップしてきた本当の原因なのです。

気がつくと、日本の社会の仕組みが、「現在」と「ひと昔前」では、根本的に変わってしまっていたのです。

子供が育つ環境として

1)家庭
2)子供社会
3)学校
4)地域社会

のバランスが取れていることが必要だというのは誰にでも分かります。

家庭の教育力自体は昔だって高いはずがありません。

しかし、かつてはムラ社会だったので、子育ては、親だけではなく地域社会の年配者・経験者が、今の子育てアドバイザーみたいな人たちよりも、もっと強く他人の子どもにかかわっていました。つまり家庭と地域社会が密接に連動していました。

そしてそこに子供社会もつながっていました。学校も(それが効果があるかどうかという議論は別にして)熱心に知識の詰め込み教育をやっていた。

そういう全体の力が大きく作用して、親の負担が少なく子育てが成り立っていたわけです。

それが個人のプライバシーが尊重されるに従い、社会でのこの関係バランスが崩れ、併せて学校はゆとり教育で一度分離崩壊してしまいました。

社会全体の子育て環境が、それぞれ分断されたり消滅したりしているのが「今」なのです。

こういう現状、つまり社会全体での子育て力・教育力が消滅してきたので、その減少分を「家庭」でまかなってほしい。

と国が明確にメッセージを発信してきているわけです。

これから子育てする親にとっては、まさに子育て「受難」の時代到来といえますが、自分自身の子どもを育てることなので、ちょっとした知識と、子どもと向き合う労力さえあれば、誰でも「教育力のある家庭」を築くことはできるのです。

【発明王エジソンの話し】

エジソンが少年時代、学校に行かなかったのは有名な話しです。

好奇心が強すぎて「あれは何?これはなぜ?」と、授業中の学校の先生に対して質問攻めしすぎて授業にならないので「もう学校に来なくていい」と言われたらしいです。

では、学校に行かずに発明の基礎となる知識をどこで身につけたかと言うと、家でお母さんがエジソンに勉強を教えたそうなのです。

「本当は、エジソンに限らず、小さな子どもにとって一番良い先生になれる可能性があるのは親なのです。

言葉も世の中のルールも、お母さんお父さんから教えてもらえば、素直に受け入れていくはずです。

そして、その時に親から何を教えてもらったのかによって、子どもの成長は変わります」(勉強できる子のママがしていること 12才までの家庭教育マニュアル 和田 秀樹)

親が子どもに「何か」を教えるということは、親子の絆を深める上でも非常によいとなので、親が子どもの教育には積極的に関わっていく姿勢がまず重要なのです。

【家庭の教育力が、直接子どもの将来に関わってくる時代到来】

苅谷 剛彦教授(東京大学大学院・教育研究科教授)は、次のように指摘しています。少し長いですが重要な指摘なので、全文引用してみます。

若者の学力低下が話題となる中、その背後で進行する現象に注目している。

親の教育レベルの違いが子供たちの学習態度や意欲の違いを生んでいる事実だ。

親の最終学歴と子供の成績、勉強時間、学習意欲の関係を調べると、両者の間にはかなりはっきりとした相関関係が認められる。

「ゆとり教育」の導入によって、子供たちの勉強離れは全般的に進んでい
るが、高学歴な親を持つ子供の勉強時間はそれほど減っておらず、学習意欲も高い。

親の学歴レベルが下がるほど、勉強時間や学習意欲は急激に減少している。

そして、この傾向は年々強まっている。

日本社会は2極分化の方向に進んでいる、と言える。

これまで、日本社会の強みは知識レベルが均質的に高く勤勉な中間層の存在にある、と指摘されてきた。

この分厚い中間層が今崩れつつある。

この流れの先に待っているのは、所得格差の拡大だけではなく、均質的だった日本社会の階層分化とその固定化だろう。

こうした前提に立てば、若者の学力低下を単に教育問題として片づけてはならないことがわかる。

これは極めて深刻な社会構造問題と捉えるべきだ。

少子化と高齢化が進む中、日本を支えてきた中間層が弱体化していけば、この国の財政状況はさらに困難さを増す。

企業社会が受ける影響も計り知れない。

「経営に必要な情報や知識はすべてデータベース化できるようになるから、今後のビジネスマンは知識習得よりも創造性が問われる」といった議論がかつてあった。

情報技術(IT)が大幅に進歩した今、こうした議論が全く的外れであったことが判明した。

膨大な情報の海から必要なものを選択するには、知識のフィルターをいったん通過させなければならない。

国民一人ひとりが、かつてよりも幅広い知識が必要とされている。

米国が「知識を基盤とした経済」を標榜し、国民各層の再教育に力を入れるのは、こうした認識があるからにほかならない。

今の日本には、学歴社会や詰め込み型教育を批判するあまり、知識や教養の全般的な価値をも短絡的に否定する風潮を感じる。

そうした反知性主義は日本の競争力に悪影響しか与えないだろう。(NIKKEI BUSINESSより抜粋)

ゆとり教育導入後、全体的には子どもの勉強時間が減って学力低下が進行していますが、実は一部の家庭では子どもの勉強時間を家庭で確保し、そんなに学力が低下していない。

という事実があり、これが当然のように将来的に貧富の差を生み出す構造になっている。という非常にわかりやすい指摘です。

【幼い頃からはじめたら、家庭での教育は、そんなに難しくない】

学習、勉強というのは、簡単に言えば量と時間の掛け算だけの話しなので、幼児の頃から少しずつ取り組めば、才能や遺伝の領域ではないので、必ず誰でも効果が出てきます。

後からはじめるにつれて難しくなっていくので、幼児の頃から学習は「習慣」として少しずつ取り組んでいけば無理なくやっていけるようになります。

【天才LABOからのメッセージ】

苅谷 剛彦教授の指摘どおり、全体的には若い世代の学力低下が叫ばれていますが、個別的に1人1人を見れば、天才スーパーキッズがゴロゴロ多数存在しているのも、また現代の特長ともいえます。

天才児研究所の所員たちも、4歳なのに英語ペラペラだとか6歳なのに数学メチャクチャできるとか、そういう優秀な子どもたちが、実は町の中にたくさんいることをリアルに目撃しております。

「平均値」という考え方が意味をなさなくなっている現在、お父さんお母さんが自分たちで決めた教育方針を毎日少しずつ実行していくことこそが、家庭の教育における「唯一の正解」なのではないかと感じる今日この頃です。

ご家庭での教育は、必ず効果が出る分野です。しかも、子どもの将来に大きく差が出ますので、あきらめずにぜひ取り組んでいってほしいと思います。